6月

好きな人が死んだ。

 

彼女が出来たそうだ。

つまり命を落としたわけではない。

ただ私の中で死んだだけである。

別に自分の中で生かすのも殺すのも自由だと思うからこのような表現をしているまでだ。

 

彼の新しい彼女はみんなから信奉されていると言っても過言ではなかった。

可愛くて愛想が良くて非の打ちどころがない。

周りのみんなも彼を祝福していた。

手荒な方法で歓迎される彼は、潰れて彼女が家に連れて帰った。

付き合って一週間なのだそうだ。

 

顔をしかめながらサークル内恋愛の辛さを思い知った、とぼやく彼に

付き合った喜びはそこまで見えなかった。

無性に腹が立った。

 

腹が立った理由はたぶんいくつかあるが

一番恥ずかしい理由としては「こいつサークル内恋愛の何を知ってるんだ」という先輩ぶった気持ちがあるからだと思う。

お前より長いことサークル内恋愛の弊害は被ってきたぞと。

古参が新参を叩く。嫌いな光景を自分で繰り広げた。

公表していないサークル内で作った彼氏の存在を打ち明けてやろうと思った。

先輩ぶったマウンティングのために。

でもなければ負けた気がしてならないからだ。

 

彼を好きな気持ちはおそらく多少漏れ出てたんだろうなと思う。

流す予定の無かった涙を流してしまったせいでよりその印象は強まっただろう。

好きな男に女ができる。

着実に固めてきた愛情がようやく実ったその様子。

自分の持ってないものをすべて持っている人間が憎くなった。

好きだったからこそ憎くなった。

予想していたことがその通りになったから憎くなった。

優しくしてくれていたから憎くなった。

 

報告が遅れてごめん

これからも仲良くしてくれと嬉しそうに謝る彼の目を見られなくて、

一層負けた気がしてならなくて悔しくてたまらなかった。

惚れた側は相手が惚れ返してくれなければ、完全に負けだ。

負けず嫌いの私が負けてしまった。

久しぶりの敗北経験だ。

 

どうせなら素直に喜んで堂々としろよと投げつけてやりたかったが

飲み会でみんなの前で公表して飲まされて潰れる以上に堂々としたことなんてないよなあと

彼の自己顕示欲、と評してしまうと意地悪な目線ではあると思うが

その正当性とそれを批判する確実に弱者側である自分の惨めさが

こびりついて離れてくれない。

 

大好きな音楽を聴いていて、

でも自分の彼氏はその曲をどうとも思ってくれなくて、

私は自分の好きな人と夜中に部屋で窓際のベッドの横にある窓からこぼれる月夜に照らされて

暗い部屋の中で聞きたいと思っていた曲を聴きながら

あぁ、あの二人がそれをしていたら

涙が出るほど似合うなと気づいて、

世界全部許してやりたくないな、と思った。

 

初めての失恋だった。

 

カレー

小学生でもカレーは作れる。

給食で大人気、キャンプで大活躍、カレーはご飯界のヒーローだと思う。

「今夜はカレーよ」なんて言葉かけられたこと一度もないけど、ノスタルジックな言葉だと心が理解する。

家庭の味であり店の味であり海の向こうの味。

カレーには魔法がかかっている。

 

基本的にルーを溶かしたカレーしかわたしは作れないけれど、いろんなカレーがあるのは知っている。

本で読んだザクロのカレー。色はきっとルビー色になる。きゅっとするような酸味があるそうだ。

人の家で作ったバターチキンカレー。トマトとカレーの相性は運命の恋人級だ。

高田馬場で食べたグリーンカレー。インドでもタイでも、カレーはたくさんの国で生きている。

そしてそもそもカレーの定義すら曖昧なことに気づかされる。

カレー鍋は闇鍋だ。

ヨーグルトもハチミツもチョコレートも、全てはカレー鍋に飲み込まれていく。

絵の具を洗うバケツの色が変わっていくのが好きだった。

カレー鍋と絵の具のバケツ、どちらが変化を楽しめるだろうか。

 

愛は食卓にある。

恋を知って愛を知ってセックスを知って愛を忘れるのが大学生あるある。

 

爆弾ジョニーの言ってることは全部正しいことばかりだった。

 

とうとう大晦日になって、幸せいっぱい花畑の脳内には北風が吹き込み、百花繚乱の花々は生き絶え、荒涼としたまるで秋口の北海道の湿地(例えが分かりづらいと思いますが、なんとなくわかって欲しい)のようなたちが胸の中に広がる思いです。

 

さて、根なし草であることは悪いことなのでしょうか。

今日、「お前は根なし草だ」と言われた時になんで返せばかっこいいかな、とずっと考えてて、

「根を張ろうが張らなかろうが、強く咲き誇れるならばいいじゃん」って返そうと思いました。

 

他人からものをもらうのは好きですが、怖くなることもあります。

なぜならばそれは結局物だから。

食べ物は良い。食べたらなくなるから

石鹸やキャンドルなども、使い切ることができる。

だからボロボロにならない限り捨てられないようなものが怖い。

いつそれの冷たさが絶対零度になるかもわからないまま抱えているのはなんだか辛い。

それならば、思い出としてその人の時間をもらいたい。

少なくとも、世界で一番好きな人からもらいたいものは時間。

孤独

我々は本来孤独な生物である。

こんな書き出しで始まる文章など世界に掃いて捨てるほどありふれている。

それにもかかわらず私たちは社会を作り、他人と触れ合い、孤独である事実を意図的か無意識かは分からないが忘れる。

 

他人の気持ちを知ることが不可能である以上、孤独であることに例外などない。

我々は孤独なのだ。

胚発生の段階で別個体に生まれた以上、他者は他者であり、完全な同一化などできないのだから悲しくはあるがそれは当然のことなのだ。

 

不意に孤独を感じる瞬間がある。

本質に立ち返っている時なのだろう。

何度でも言うが我々は孤独なのである。

忘れる時間が長ければ長くなるほどその事実に傷つく。

 

たまに孤独な自分に戻してくれる音楽に出会うことがある。

傷を癒してくれるのが孤独を思い出させてくれる音楽なのだろう。

最後は一人でその音楽を聞きながら生きていきたい。

先端恐怖

尖ってる、というのは人によっては「痛々しい」の言い換えになるだろう。

見ていられないほど痛々しくて笑える、そう思われるであろう言動をなぜか近頃してしまう。

 

ニコニコし続けるのは最低だ。

争いを回避して、なんとか自分のイラつきを抑えて逃げてるだけだ。

人の考えてることは分からない。

分かるとしても理解ができない。

それならばぶつかるしかない。

お互いの角が折れるまで傷つけ合う他手段はない。

 

鏡よ鏡、で誰かの心が覗けたならば、もう少しいろいろなことに諦めもついたはずなのに。

見通し

何かを書くことが目的になって文字を連ねることは果たして正しいのだろうか。

それは文字を記している自分自身に酔いしれているが故の、悪く言ってしまえば浅ましい行為であるようにすら思える。

何か記したいことがあって、何か残したい思いがあって、何か聞いて欲しいことや伝えたいことがあってこその言葉なのではないだろうか。

 

語りえぬことについては沈黙しなくてはならない。

という言葉はもちろんこの意味において使える言葉ではないだろうが、ニュアンスとしては同じようなことをわたしは言いたい。

 

言いたいことがないのならば黙っていればいい。黙って何かを言うための言葉を頭の中で組み立て、思考を練り上げることが本来の思考、いわゆる普通の思考であり、誰かに認められたい・自分で満足したいという歪んだ欲求に基づかない純粋な人類の表現欲求の発露といったところになるのではないだろうか。

共感

好きな音楽好きな映画好きなドラマ好きなアニメ好きな絵画好きな風景好きな瞬間を共有することは快感であると思う

相手の快を刺激するんだからちょっとエッチな行為ですらあるんじゃないかと思う

その瞬間だけがずっと続けばこの世界ももう少し静かになるだろうし、緩やかに平和の中滅んでいってくれるかもしれないのにな